今では韓国でも、日本の音楽やドラマ、アニメ、ゲームを当たり前のように楽しめます。しかし、私が学生だった1990年代は今とはかなり状況が違いました。
韓国政府が日本大衆文化の段階的な開放を始めたのは1998年10月です。それ以前は、日本の音楽や映画、放送などが現在のように自由に流通していたわけではありません。
それでも、日本文化が韓国で知られていなかったわけではありません。X JAPANを聴く人がいて、安室奈美恵やキムタクを知っている人がいて、『スラムダンク』を読み、日本のゲームで遊ぶ子どもたちがいました。ソニーのウォークマンのような日本の電化製品も身近な憧れでした。
私自身、日本のゲームをきっかけに日本語に興味を持ちました。友達とX JAPANのビデオを回して見たり、個人的に好きだったSPEEDのブロマイドやビデオテープを集めたりしたのも、この頃の思い出です。
振り返ってみると、1998年の文化開放より前から、日本文化はさまざまな形で90年代の韓国の若者たちの日常に入り込んでいました。
X JAPANや安室奈美恵を知っていた韓国の若者たち
90年代の韓国で日本の音楽に関心を持っていた人たちにとって、X JAPANは印象の強いバンドの一つでした。当時は日本語の音楽を韓国で普通に買える時代ではありませんでしたが、コピーされたカセットやビデオなどを通して曲や映像が広がっていました。
私の周りでも、X JAPANのライブ映像やミュージックビデオを録画したビデオテープを友達同士で回して見ていました。今ならすぐに探せる映像でも、当時は一本のテープが貴重でした。
女性アーティストでは安室奈美恵もよく知られていました。ただ、日本の「アムラー」ブームがそのまま韓国全体に広がった、という意味ではありません。日本の音楽やファッションに関心のある若者の間で、安室奈美恵の名前やスタイルが知られていたというほうが実感に近いです。
ちなみに、私が個人的に好きだったのはSPEEDです。韓国で安室奈美恵以上に有名だったという意味ではなく、自分が好きでブロマイドやビデオテープを集めていました。写真や映像を簡単には手に入れられなかったので、一枚のブロマイドにも今とは違う特別感がありました。
キムタクと日本ドラマも「探して見る」ものだった
日本の芸能人では、SMAPや木村拓哉の名前を知っている人もいました。特に日本ドラマに関心のある層では、木村拓哉は「キムタク」として知られていました。
ただし、当時の韓国では日本ドラマを地上波で普通に楽しめたわけではありません。『ロングバケーション』や『ラブ ジェネレーション』のような作品を見たければ、ビデオなど別の経路を探す必要がありました。
木村拓哉の影響はドラマだけではありません。私の記憶では、韓国でもキムタクを意識したような長めの髪型をしている若者を見かけました。ドラマを通して見る東京の街並みや若者の服装、髪型も新鮮で、日本のドラマは物語を楽しむだけでなく、当時の日本の空気を知る入口でもあったと思います。
『スラムダンク』など日本の漫画はかなり身近だった
90年代の韓国を振り返るなら、日本漫画の存在も外せません。『ドラゴンボール』や『スラムダンク』など、日本で生まれた漫画を読んで育った人は少なくありません。
特に『スラムダンク』は韓国でも大きな人気を集めました。桜木花道が「カン・ベクホ(강백호)」、流川楓が「ソ・テウン(서태웅)」になるなど、登場人物の名前も韓国向けに変えられていました。
当時は漫画雑誌や紙の単行本を読むのが身近な娯楽でした。その中には日本漫画も多く、子どもや学生にとって日本文化との接点の一つになっていました。
アニメは『セーラームーン』から『エヴァ』まで
日本アニメも90年代の韓国で親しまれていました。ただ、作品によって広まり方はかなり違います。
『美少女戦士セーラームーン』のようにテレビを通して子どもたちに広く知られた作品がある一方、『新世紀エヴァンゲリオン』のように、日本アニメを積極的に追いかけるファンの間で注目された作品もありました。
テレビで見る作品もあれば、ビデオや専門店などを通して探して見る作品もある。同じ日本アニメでも、韓国での入り方は一つではありませんでした。
日本のゲームが日本語への入口になった
私にとって特に大きかった日本文化はゲームです。
90年代の韓国では、日本のゲーム機やゲームソフトがすでに身近にありました。韓国企業を通して販売されたゲーム機もあり、日本版のソフトを探して遊ぶこともありました。

撮影:Evan-Amos、画像編集:Gunnar.offel / Wikimedia Commons / Public Domain
ゲームソフトは子どもにとって決して安い買い物ではありません。私も欲しいゲームを買うために何か月もお小遣いを貯めました。
日本版のゲームなら、画面に出てくる文字も日本語です。先に進みたいので、分からない文字や単語を調べるようになりました。
最初から「日本語を勉強しよう」と考えていたわけではありません。ゲームを遊びたいから調べる。その繰り返しで少しずつ日本語を覚えていきました。私が日本語に興味を持ったきっかけの一つは、日本のゲームでした。
ソニーのウォークマンにも憧れた
音楽や漫画だけでなく、日本の電化製品も身近なところにありました。その中で今も印象に残っているのが、ソニーのウォークマンです。

撮影:Anna Gerdén / Tekniska museet / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
90年代後半まで、韓国でも「ウォークマン」という名前は携帯型カセットプレーヤーを思い浮かべるほど広く知られていました。ソニー製品を手に入れたいと思う人も多く、私の世代にとって日本の電化製品を象徴する名前の一つだったと思います。
好きな音楽をカセットに入れて外で聴く。今なら何でもないことですが、当時はそれ自体が新鮮でした。日本文化への関心は歌手や漫画、ドラマだけでなく、こうした身の回りの製品にもつながっていました。
文化開放前から、日本文化はすでに身近にあった
1998年の日本大衆文化開放は大きな転換点でした。ただ、当時を経験した感覚では、その年になって突然日本文化が韓国に入ってきたわけではありません。
音楽はカセットやビデオで探し、漫画を読み、アニメを見て、日本のゲームで遊ぶ。そうやって文化開放前から日本に触れていた若者はいました。
私にとっても、友達と回して見たX JAPANのビデオや、集めていたSPEEDのブロマイド、何か月もお小遣いを貯めて買ったゲームは90年代を思い出すものです。今では簡単に手に入るものばかりですが、当時は探して手に入れること自体が楽しみの一部でした。
