韓国に住んでいた頃は、友人や知り合いに会うと自然に「ご飯食べた?」と聞いていました。食事の時間じゃなくても普通に使っていて、道で偶然友人に会ったときも、久しぶりに連絡した相手にも、特に何も考えず同じように聞いていました。
当時は、これが特別な挨拶だと思ったこともありません。それくらい当たり前の言葉でした。
ところが日本で暮らすようになってから、少し違うことに気づきました。日本では、誰かに会っていきなり「ご飯食べた?」と聞くことは、ほとんどありません。
私も最初の頃は韓国にいたときの感覚で、日本人の知人に「ご飯食べた?」と聞くことがありました。すると何度か、「どうして会ってすぐに『ご飯食べた?』って聞くの?」と言われました。
言われてみると、たしかに少し不思議です。
韓国ではあまりにも普通なので気にしたことがなかったのですが、そういえば、どうして「こんにちは」ではなく「ご飯食べた?」なんだろう、と初めて気になりました。
なぜ「ご飯」なのか
私は昔から、朝鮮戦争後の貧しい時代にこうした挨拶が生まれた、という話を聞いていました。食べ物が十分になく、きちんと食事ができない人も多かったので、会った相手に「ご飯は食べた?」と聞くようになった、という話です。
私もずっとそうだと思っていました。
でも今回、少し気になって調べてみると、朝鮮戦争より前の資料にも、すでに食事をしたかどうかを聞く挨拶が出てきました。
どうやら、朝鮮戦争後に突然生まれた言葉ではないようです。
とはいえ、昔の貧しい暮らしとまったく関係がなかったとも思えません。今よりも毎日の食事がずっと大事だった時代があり、十分に食べられないことも珍しくありませんでした。
そんな時代なら、「ご飯食べた?」という言葉にも、今よりずっと重みがあったはずです。
ちゃんと食べられているなら、とりあえず元気にやっている。
そんな感覚があったからこそ、「ご飯食べた?」がいつの間にか「元気にしてる?」に近い言葉になっていったのかもしれません。
本当に食事をしたか知りたいわけではない
今でもこの言葉を使う場面を考えてみると、よく分かります。
私は両親に電話すると、まず「ご飯食べた?」と聞くことがよくあります。両親からも、同じように「ご飯食べた?」と聞かれます。
でも、お互いに今日何を食べたのかが毎回気になっているわけではありません。
ちゃんと食べているか、元気にしているか、特に変わりはないか。
たぶん、そういうことをまとめて聞いているんだと思います。
友人同士でも同じで、食事の時間でもないのに「ご飯食べた?」と聞くことがあります。それでも韓国人同士なら、特に変には感じません。
私自身も、この言葉をかけられると少しうれしくなります。
ただ挨拶を交わすよりも、「ちゃんと元気にしてる?」と気にかけてもらっているような感じがするからです。
何気ない一言なのに、どこか温かさがあります。
日本で暮らしてから、前より好きになった
考えてみると、韓国では「ご飯」という言葉を本当によく使います。
「ご飯食べた?」
「今度ご飯でも食べよう」
「ちゃんとご飯食べてね」
誰かを心配するときにもご飯の話をしますし、久しぶりに会った人に「今度ご飯でも食べよう」と声をかけることもあります。
韓国にいた頃は、あまりにも普通に使っていたので、特別な言葉だと思ったことはありませんでした。
でも日本で長く暮らして、「どうして韓国人は会うと『ご飯食べた?』って聞くの?」と言われてから、この言葉が少し違って見えるようになりました。
「ご飯食べた?」
本当に聞きたいのは、食べたかどうかじゃないこともあります。
相手がちゃんと元気にしているか。
たぶん、そんな気持ちが入っているから、私はこの挨拶が今でも好きなんだと思います。
