韓国人はなぜ会うと「ご飯食べた?」と聞く?挨拶に込められた意味とは
韓国の「ご飯食べた?(밥 먹었어?)」は、本当に食事をしたか聞くだけでなく、「元気にしてる?」のように相手を気遣う挨拶にもなります。私も韓国では、道で会った友人や久しぶりに連絡した相手に自然に使っていました。
当時は、これが特別な挨拶だと思ったこともありません。それくらい当たり前の言葉でした。
ところが日本で暮らすようになってから、私の周囲では、会ってすぐ「ご飯食べた?」と声をかける場面が韓国にいた頃より少ないことに気づきました。
私も最初の頃は韓国にいたときの感覚で、日本人の知人に「ご飯食べた?」と聞くことがありました。すると何度か、「どうして会ってすぐに『ご飯食べた?』って聞くの?」と言われました。
言われてみると、たしかに少し不思議です。
韓国ではあまりにも普通なので気にしたことがなかったのですが、そういえば、どうして「こんにちは」ではなく「ご飯食べた?」なんだろう、と初めて気になりました。
なぜ「ご飯」なのか
「戦後の食糧難の時代に生まれた挨拶だ」という説明を耳にすることがあります。ただ、今回確認できた研究資料は、現代の「밥 먹었어요?(ご飯食べましたか)」が安否を気遣う表現として使われることを扱っており、起源を特定するものではありません。由来を一つの歴史的出来事に結び付けて断定するのは避けたいところです。
この表現の現在の使われ方については、韓国語の「밥」関連表現を分析した学術研究でも、食事の有無を尋ねる形で相手への安否や関心を示す用例が取り上げられています。
私には、食事を大切にしてきた暮らしの記憶が、この言葉に重なって聞こえます。ただし、それは私が感じる背景であり、言葉の成立時期を示す根拠とは別です。
本当に食事をしたか知りたいわけではない
この言葉が食事の事実だけを尋ねているわけではないと感じるのは、家族とのやり取りにも表れています。
私は両親に電話すると、まず「ご飯食べた?」と聞くことがよくあります。両親からも、同じように「ご飯食べた?」と聞かれます。
私が気にかけているのは、何を食べたかより、相手が元気で過ごしているかどうかです。
友人との会話でも、食事時ではないのに「ご飯食べた?」と聞くことがあります。私には不自然ではなく、相手を気にかける言葉として聞こえます。ただし、親しさや場面によって受け止め方は変わるはずです。
形式的な挨拶よりも、「元気にしている?」と気にかけてもらったように感じるので、私はこの言葉が好きです。
返事は、食べたなら「응, 먹었어(ウン、モゴッソ/うん、食べたよ)」、まだなら「아직 안 먹었어(アジク アン モゴッソ/まだ食べてないよ)」で構いません。これは親しい間柄の言い方です。挨拶の場合もあるので、聞かれただけで一緒に食べようという誘いとは限りません。
日本で暮らしてから、前より好きになった
韓国では「ご飯」を使った声かけをよく耳にします。
「ご飯食べた?」
「今度ご飯でも食べよう」
「ちゃんとご飯食べてね」
誰かを心配するときにもご飯の話をしますし、久しぶりに会った人に「今度ご飯でも食べよう」と声をかけることもあります。
日本で暮らし、この言葉について尋ねられて初めて、当たり前に使っていた表現の意味を考えるようになりました。
「ご飯食べた?」
文字どおり食事をしたか尋ねる場合もあれば、そうではなく相手の様子を気にかけている場合もあります。
食事の話を通して相手を気遣うところに、私はこの表現らしさを感じます。
