韓国の食堂や市場に行くと、こんな声をよく耳にします。

「사장님, 여기 소주 하나 주세요.(サジャンニム、ヨギ ソジュ ハナ ジュセヨ/社長さん、ここに焼酎を1本ください)」

ところが、その人が本当に店の社長なのかは分かりません。店員かもしれないし、アルバイトかもしれません。それでも韓国では、ごく自然に「사장님(サジャンニム)」と呼ぶことがあります。

考えてみると、私もそうです。

韓国で食堂や小さな店に入り、ある程度年上に見える男性に何かお願いするとき、つい「サジャンニム」と呼んでしまいます。

でも、ふと考えると少し不思議です。

この人が店主かどうかも知らないのに、なぜ「社長さん」と呼んでいるんだろう?

韓国人にとってはあまりにも普通の呼び方なので、普段はそこまで考えません。

「サジャンニム」と呼ばれても、本当の社長とは限らない

もともと「사장(サジャン)」は、会社や店などを経営する人を指す言葉です。そこに敬称の「님(ニム)」が付いたのが「사장님(サジャンニム)」です。

意味だけを見れば、本来は店主や会社の社長に使う言葉です。

ただ、実際の会話ではもう少し広く使われています。小さな食堂、市場、屋台、町の店などでは、相手が本当に店主なのかを確かめずに「サジャンニム」と声をかけることがあります。

肩書きを正確に言い当てるというより、「店にいる人を失礼のないように呼ぶ」くらいの感覚です。

国立国語院の「2024年国語使用実態調査(語彙)」にも、これがよく分かる質問があります。

「初めて行く店で店主が見当たらないとき、何と呼びますか」という質問に対し、「사장님(サジャンニム)」と答えた人は49.7%で最も多く、「계세요(ケセヨ/どなたかいらっしゃいますか)」が36.0%、「여기요・저기요(ヨギヨ・チョギヨ)」が13.6%でした。

まだ店主がいるかどうかも分からないのに、入口から「サジャンニム」と呼ぶ人が多いわけです。日本語の「社長さん」より、ずっと気軽な呼び方に聞こえます。

出典:国立国語院「2024年国語使用実態調査(語彙)」

なぜ、わざわざ「社長さん」と呼ぶの?

「昔、こんな出来事があってサジャンニムと呼ぶようになった」というような、はっきりした一つの由来があるわけではありません。

でも、知らない人をどう呼ぶか考えてみると、なんとなく納得できます。

名前を知らない相手に声をかけたい。でも「아저씨(アジョシ/おじさん)」と呼ぶと、人によっては嫌がるかもしれません。「아줌마(アジュンマ/おばさん)」も、今では初対面の女性にはかなり使いにくい呼び方です。

そんなとき、店なら「サジャンニム」と呼べます。

本当に社長かどうかは分からなくても、相手を悪く呼んでいる感じはしません。むしろ、ちょっと丁寧です。

だから店では、相手が店主かどうかをあまり気にせず「サジャンニム」と呼んでしまいます。

「アジョシ」「アジュンマ」は昔より使いにくくなった

昔の韓国ドラマや映画を見ると、食堂でこんな呼び方をする場面が出てきます。

「아줌마, 여기요.(アジュンマ、ヨギヨ/おばさん、ここです)」

「아저씨, 이것 좀 주세요.(アジョシ、イゴッ チョム ジュセヨ/おじさん、これをください)」

今でも使う言葉ですが、知らない人に向かって気軽に使えるかというと、少し迷います。

「アジュンマ」や「アジョシ」には、どうしても年齢のイメージがあります。こちらに悪気がなくても、「そんなに年上に見える?」と思われることもあります。

「サジャンニム」なら年齢は関係ありません。しかも少し丁寧に聞こえるので、店では使いやすいです。

女性には「イモニム」と呼ぶこともある

韓国の食堂では、ある程度年上の女性にこんなふうに声をかけることもあります。

「이모님, 여기 김치 조금만 더 주세요.(イモニム、ヨギ キムチ チョグンマン ト ジュセヨ/すみません、キムチをもう少しください)」

「이모(イモ)」は本来、母親の姉妹を指す言葉です。日本語なら「おば」にあたります。

もちろん、食堂で「イモニム」と呼んでいる相手が本当の親戚というわけではありません。韓国では、家族ではない人にも家族の呼び方を使うことがあります。食堂で聞く「イモ」も、その延長です。

ただ、女性店員なら誰にでも「イモニム」と呼ぶわけではありません。

若い女性には、普通は「イモニム」とは呼びません。若い人に使うと、「そんなに年上に見える?」と思わせてしまうかもしれません。

ある程度年上に見える女性でも、「サジャンニム」と呼ぶ人もいれば、単に「ヨギヨ」と声をかける人もいます。

このあたりは、韓国人もかなり感覚で使い分けています。

旅行中なら「ヨギヨ」で十分

韓国旅行中、自分で店員を呼ぶならどうするか。

無理に「サジャンニム」や「イモニム」を使う必要はありません。

いちばん無難なのは「여기요(ヨギヨ)」です。

「여기요, 주문할게요.(ヨギヨ、チュムナルケヨ/すみません、注文します)」

「여기요, 물 좀 주세요.(ヨギヨ、ムル チョム ジュセヨ/すみません、お水をください)」

これなら相手が男性か女性か、何歳くらいか、本当の店主か店員かを考えなくて済みます。「저기요(チョギヨ)」も、人に声をかけるときによく使います。

旅行中は、とりあえず「ヨギヨ」で困ることはほとんどありません。

「サジャンニム!」と聞こえても、社長がたくさんいるわけではない

韓国の食堂で、隣のテーブルから突然「사장님!(サジャンニム!)」と聞こえても、その人が本当に店のオーナーだと思う必要はありません。

私自身、これまで特に考えず「サジャンニム」や「イモニム」と呼んできました。

でも改めて考えてみると、相手が誰なのかよく分からないからこそ「サジャンニム」と呼んでいるのかもしれません。

名前は知らない。「アジョシ」と呼ぶのはちょっと迷う。だから、店では「サジャンニム」。

誰なのか分からなくても、気まずくならずに呼べる言葉。そう考えると、韓国で本当の社長よりずっと多くの人が「サジャンニム」と呼ばれているのも、なんとなく納得できます。